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1970年物語/第一話 by/門田一郎 1972年・「妙安寺ファミリーバンド」 この長ったらしい名前は私が学生時代にやっていたバンドの名前である。 「妙安寺」は私の実家であるお寺の名前で福岡に実存する。 断っておくが奇妙で長いバンドの名前であるが決してコミックバンドではなかったからね。ジャンル分けをあえてするならばバンジョーやフィドル(バイオリン)、フラット・マンドリンなどの楽器を使っていたのでカントリー・バンドと呼ばれていた。しかし本場のカントリーのコピーバンドではない。詞や曲はすべて自分たちで創り演奏していた。 福岡市の南西部、油山の麓の近く「七隈」に私が通った「福岡大学」がある。名前だけ聞けば国立大に聞こえるがれっきとした私立大学である。(ちなみに福岡にある国立大は「九州大学」である。)大学に「フォークソング愛好会」というクラブがあり私は3年の時から所属していた。4年になって久保という同じ学年の友人と二人でバンドを結成した。大学最後の年をエンジョイするためのバンド結成である。 久保はいい人なんだけど性格はいい加減である。だけど音楽に関しては非凡な才能の持ち主で、彼に出来ない楽器はない…と言うくらい、どんな楽器でも器用にこなすし、あれよあれよという間に曲を作る。唯一、彼に出来ないことは私のように繊細な詞を書くことで自然とバンドの中の分担が決まった。 「七隈ブラザーズバンド」と名前を付けて、久保の下宿で詞を書いて曲を作り、二人でギターを弾いて練習をしていた。隣の部屋に久保の前のバンドのメンバーだった3年の萩野が住んでいた。 「バンドやるんやったら、ベースがあった方が良かろう?」萩野はそう言うと自分の部屋からウッド・ベースを持ち出してきた…四畳半の部屋にそんなでかい物を持ってくるな! 「俺達は一年間遊ぶだけのバンドやけん、お前は誰かとちゃんとしたバンドを組んだほうがいいぜ。」1年の時から萩野にベースを教え、育ててきた久保は萩野をバンドに誘わなかったことを気にしていた。 「今更、他の人間とバンドをする気はないもん。久保さんがバンドをするなら俺も入れてよ。ね、良かろう?」 ベースに萩野が加わって練習場所を大学の教室に変えた。そのうち何度か練習を見に来ていた2年の柏村が見よう見まねで勝手に横でギターを弾きはじめた。柏村のギターの音が気になる久保が練習を止めて柏村に聞いた。 「お前、何しよん?」 「いいちゃ、いいちゃ。ぼくのことは気にせんといて。それより練習、練習。」柏村は全く気にするふうもない。 「お前のギター、邪魔やけんあっちへ行け!」 「久保さん、それはないちゃ。メンバーは大切に扱かわな、いけんと思うよ。」 「誰がメンバーじゃ?バカタレ!」久保があきれたように言うと、柏村は無言で自分の顔を指でさす。 「お前、いつからメンバーになったんじゃ?」 「そうねぇ、もう2週間前になるかなぁ…」柏村がはじめて練習を見に来た頃である。 「誰がメンバーに入れると決めたん?」 「こういうことは自分で決めるもんちゃ。」 「あれぇ、ミチ(柏村)。いつからバンドに入れてもろうたん?」柏村とバンドを組んでいた2年の田原が教室にやって来た。 「誰もバンドに入れると言うとらんとに、こいつが勝手に横でギターを弾きよったい。」…ほとんどあきらめの境地にある。 「そしたら、僕もバンドに入ってもいい?久保さん、門田さん、萩野さん。」 「田原、バンドに入りたかったらメンバーのワシにもお願いせにゃ。」柏村はもうすっかりメンバーになりきっている。 「あっ、そうか。バンドに入れてください。柏村さん。」柏村に向かって頭を下げる。 「こんなに言いようから、入れてあげよう。ね、久保さん、門田さん、萩野さん。」…田原の加入を柏村が勝手に決めた。 「だけど田原、ベースは萩野さんじゃけど、お前は何するん?」田原もベースである。 「あ、そうか。何しようかな?久保さん、俺、何したらいいかいな?」 「お前等ねぇ…」 「パーカッションでするか。」という久保の意見を聞いて田原は早速ボンゴを買ってきた。いきなりメンバーが5人になってしまったので、久保がそれぞれのパートを作る。久保のリード・ギター、柏村のサイド・ギター、私のリズム・ギター、萩野のベース、田原のボンゴ… 「何か、もっと別の音が欲しい。特にこの曲なんかはカントリー風にやりたいったい。」練習が終わった後は決まって久保の下宿に集まってバンドの話をする。 「久保さん、1年でバンジョーが弾ける奴がおるよ。藤永って奴で、今『モンマルトン』に付いてバンジョーば習いようみたい。」田原はクラブの副幹事でもある。クラブのことはよく知っている。「あとね、同じ1年で木下っていうのがバイオリンを持っとう、ていう話。」 こうなったらと1年の藤永はバンジョーが弾けるから、木下はフィドルを持っているからという理由だけでバンドに入れた。こうしてメンバーが7人となり、バンド名の長さとメンバーの多さで博多一のバンドが出来あがった。 |
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